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『97』時計の針を100年戻した毛沢東の文化大革命

  • nakata513
  • 2022年4月5日
  • 読了時間: 3分

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1964年には、中国も原爆実験に成功します。このときに「トンキン湾事件」が起こり、アメリカは本格的にベトナム戦争に介入します。1965年には「9月30日事件」がインドネシアで起こり、中立的だったスカルノ大統領が軍部に追放されてインドネシアが西側に傾きます。11月に姚文元が「『海瑞罷官』を評す」という論文を発表しました。後から考えたら、これが文化大革命の発端になるのです。


 その背景を少し説明すると、毛沢東は「大躍進」政策を推進しましたが、成功するはずがありません。だから実際の政治は、劉少奇をはじめとする実務派官僚が行うようになっていました。毛沢東は共産党主席のポジションはキープしましたが、国家主席は劉少奇に譲りました。


 毛沢東は創業の人なのです。三大紀律八項注意を作るなどして国を創業したのですけが、詩人肌で永久革命家なので、「大躍進するため、みんなで鉄をつくろう。大企業だけが鉄をつくるんじゃない、農村でも鉄をつくろう」といって「革命、革命、革命」と夢を追い求めました。いかにも共産主義的ですね。そして大失敗します。


 そこで「共産党のことだけをやってください。行政や立法は私たちがやりますから」と劉少奇にいわれていたのですが、それに毛沢東は飽き足りなくて、さらに2回目の文化大革命という革命を始めたわけです。これも日本の幸運だと思います。


 ただ中国のしっかりしているところは、そういうめちゃくちゃなことをやりながら、核ミサイルや水爆といった軍事部門だけは絶対に手を緩めないことです。これは中ソ対立が根底にあり、アメリカよりソ連への対抗心が強かったというのが今日の見方です。


 ベトナム戦争ですが、1968年になるとアメリカは北爆を停止して和平へと舵(かじ)を切り替えます。アメリカという国は面白い特徴を持っていて、アメリカ人が死ぬことを何よりも恐れるのです。これがソ連との大きい違いです。例えば、スターリンはドイツとの戦争で何人人が死のうがトータルの人口はうちの方が多いのだから、1000万人死のうが、2000万人死のうが、最後にはうちが勝ち残るというめちゃくちゃな考え方をしていました。


 一方、アメリカは人命にとてもセンシティブです。ベトナム戦争を終えようと考えたのは、死者数が朝鮮戦争を上回ったからです。アメリカは世界のどこに出ていっても、アメリカ人が死んだらわりとすぐにびびります。ソマリアがいい例ですね。いいように解釈すれば、人命を大事にするという国です。だから陸地での殴り合いは苦手であるような気がします。


 ちなみにアメリカがこれまでやった戦争の中で最大の死者を出したのは、第1次世界大戦でも第2次世界大戦でもなく、市民戦争である南北戦争です。この戦争では約60万人が死んでいます。


 
 
 

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